第4夜 嘘つき
アラビア語で嘘つきは كَذَّاب という。動詞 كَذَبَ (嘘をつく)の派生語であり、日常的にもよく用いられる。
その卓越詞が أَكْذَبُ (より嘘つき)である。辞書を見ると、この語には أَكْذَبُ من مُسَيْلِمَةَ (ムサイリマより嘘つき)とか أَكْذَبُ من عُرْقُوبَ (ウルクーブより嘘つき)という用例があるが、そもそもムサイリマとかウルクーブとはどういう人物なのだろう。
まずムサイリマだが、彼はムハンマドと同時代の歴史上の人物で、アラビア半島の中央にあるヤマーマでキリスト教の牧師を務めていた。自分を預言者であると名乗り、ムハンマドの後継者の地位を要求したことがイスラム教徒の逆鱗に触れ、最後には討伐軍に殺害されて、死後は嘘つきの代表にされてしまった。i
一方、ウルクーブはアラブ民話の有名なトリックスター・ジョハーのような人物で、その由来譚は以下のようなものである。
昔、ヤスリブ(=メッカの古称)の町にウルクーブという男が住んでいた。彼はナツメヤシの木をたくさん持っていた。ある日、貧乏人がやってきて喜捨を求めたが、ウルクーブは言った。「今タムルはないよ。タルウ(=ナツメヤシの木の花)が咲いた頃、またおいで」。そこでタルウが咲いた頃に貧乏人がやって来ると、ウルクーブは言った。「バラフ(=熟していないナツメヤシの実)がなった頃、またおいで」。そこでバラフがなった頃に貧乏人がやってくると、ウルクーブは言った。「バラフがルタブ(=甘く熟したナツメヤシの実)になる頃、またおいで」。そこで バラフがルタブ になった頃に貧乏人がやって来ると、ウルクーブは言った。「ルタブがタムルになる頃、またおいで」。さて、ルタブがタムルになると、ウルクーブはある夜、ナツメヤシの木に登り、タムルを切ってそれを隠してしまった。そして貧乏人が約束の時間にやってくると、驚いたことにナツメヤシの木にはタムルが一つもなかった。そこで貧乏人はウルクーブにだまされたことを悟った。
日本人の感覚ではあまり笑えないが、ナツメヤシの木が花を咲かせ、実をつけて、最後にタムルに変わるまでを折り込んでいるのが、アラブ人には面白いのだろう。
では、この二つの表現は実際にはどのように使われているのだろう。インターネットで検索してみると、「ウルクーブ」より「ムサイリマ」の方が圧倒的に多い。やはり信仰が絡んでいる分、インパクトが強いのだろう。中にはこんなものがあった。
هل يجب علينا تغيير المثل القائل (أكذب من مسيلمة) ب (أكذب من قناة العربية)!؟
(我々は「ムサイリマより嘘つきの」という諺を「アル・アラビーヤより嘘つきの」に変えなければならないのだろうか)
さて、この問いかけにアル・アラビーヤは何と答えるのだろう? 日本には「東京スポーツ」という、それこそうってつけの新聞があるのだが。
iこのムサイリマは「ハディース」にも何回か登場するので、そのさわりを牧野信也訳で紹介しよう。
「神の使徒の時代に偽預言者ムサイリマは弟子達を引連れてメディナへやって来て、『もしムハンマドがわたしを後継者にするならば、彼に従うだろう』と言った。そこで神の使徒は手になつめやしの枝をもち、ムサイリマの前に進み出て、『もしあなたがこの枝を求めたにしても、与えないであろうに』と言った」(中公文庫「ハディース3」p407-8) なお、ムサイリマには他にもムハンマドにアラビア半島の二分割統治案を持ちかけたという話も伝わっていて、嘘つきと言うよりはホラ吹きと言う方が近い。